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2013年06月20日(木曜日)
単独自動車による明白な危険運転の実例
2013年06月18日13時06分頃、Google地図での位置≒34.555651,133.389196付近で、自転車で下の写真の青い矢印の様に徐行していた私の直ぐ目の前を、下の写真の赤い矢印の様に、ナンバー=福山583ゆ830の黒色の軽四輪自動車が、かすめて通って行った。
私がブレーキを掛けなければ、私の自転車とその自動車は衝突していたはずだ。

 

赤い矢印の経路は、自動車が通るための経路ではない。
その事は、この経路が電話ボックスと街路樹・電柱に挟まれている事からも分かるし、また、コンビニの敷地と歩道の境界の縁石の作る段差の様態(上の写真からは分からない)からも、分かる。
それよりも、私にとっては、何より、自動車が赤い矢印の経路を通行するのを一度も見た事が無い事の方が、判断の根拠に成っている。
見た事は過去にもあったかもしれないが、それは、思い出せないぐらいに希な事だ。

赤色の矢印の経路上の歩道と車道の境界の縁石は低められているが、これは、赤色の矢印の経路を自動車が通行するための事ではなく、コンビニの隣の店舗の敷地への車両の出入りを可能にするための事だ。

青い矢印の経路を私が通行するのは、自宅に帰るためにこのコンビニから自転車で出発した際に、このコンビニの敷地内で自動車を迫らせる嫌がらせを受ける事が常態化しているからだ。
この嫌がらせを少しでも受け難い様に、私は、青い矢印の経路を自転車で徐行する事が多い。

犯人は、この私の習慣を知った上で、その私の方法でもこれは防げないだろう、という事をやって来たか、あるいは、正規の出入り口での嫌がらせを狙ったがタイミングが合わず、無理矢理タイミングを合わせるために強引に赤色の矢印の経路を通ったか、だと思う。

この犯人の狙いがもっと凶悪だった可能性も十分に考えられる。
この日は私は電話ボックスの向こうでハンドルを切っているが、そうせずに電話ボックスと歩道の間を通る事も多い。
電話ボックスは歩道に密着しておらず、電話ボックスはコンビニの敷地内にある。
私が電話ボックスと歩道の間を通る瞬間に、私を自動車と電話ボックスの間に挟もう、というのが犯人の狙いだった可能性もある。

この件は、障害未遂以上である事が2値論理的に明白である珍しいケースだった。

運転者を目視確認すると、それは、昨日=2013年06月19日のNHKクローズアップ現代終了後の東北大震災への短い追悼番組(20時の数分前)で鈴木京香さんが紹介していた被災男性に年齢も人相も似た男性だった。

青色の矢印の経路を徐行する、という私の行動パターンから、私は、今回問題にしている危険運転以前に既に、相手が不当に出過ぎた分を自分が義務以上に引く事によって償ってやる、という、かなりの譲歩を、している事が分かる。
あんなに隅の方を、しかも徐行しているのだから、遠慮、協調性は、十分である。
本件で問題にしている自動車は、その私に対してぶつけようとして来たのだから、これは、私が問題を解決できている状態で存在している事を憎んでの物だ。

これは、私が昨日の記事に書いた、浴槽の水抜きの計画を一定させる事が出来ない様にする嫌がらせ、の動機と同じだ。
私が今までに勤めた事のある色々な職場で私の身に降り掛かって来た問題の暫定的な根本原因は全て、相手がこの動機を持っていた事にある。
ただし、原因ではあるが、それは責めを負う事ではない、無くす義務は無い、そのままにする権利がある、という物まで含めれば、当然の事ですが、この限りではありません。
相手は、私には協調性が足りない、とか、私にはコミュニケーション能力が不足している、などの色々な理由をこじつけて来ているが、それらは全て言い訳である。
お前を雇い続けるとお前のせいで会社が潰れるから、といった実利上の理由は、それよりももっと言い訳度が高い言い訳です。

なぜ「暫定的な」かと言うと、もっと掘り下げて考えれば違った言い方が出来るだろう、からです。
当たり外れの観点から「暫定的な」と言っている、のではありません。
当たり外れについては、間違い無く当たっています。
もっと掘り下げた理由とは、私が問題を解決できている状態で存在している事を何故憎むのか、です。

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以下に、過去の記事への補足説明を書きます。

2013年06月19日に普段より遅れて起床した際に、
私の写メール投稿ブログ「即達」の2013年06月19日の記事の不審な液垂れを、私の寝室の床で発見した。
2013年06月18日の記事の終盤に書かれている、21時ごろ私が聞いた、スプレーを至近距離で壁に吹き付ける様な音は、これだった可能性が高い。