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2013年06月19日(水曜日) | ||||||||||
今朝、苦情を言って来た | ||||||||||
昨日の記事の序盤に、鉄パイプ同士がぶつかり合う音が足場解体の名目で嫌がらせの為に立てられている、という事を書いたが、その音源付近から、今朝は、電動工具で石や木を切る様な音や、金槌で釘を打つ様な音が、非常にうるさく聞えて来た。 これは、昨日と今日だけの話ではなく、2013年05月30日頃からほぼ毎日ずっとだ。 それも、この位置からの騒音の発生が、であって、この位置からに限らなければ、色々な位置から常に何かしら私に対する嫌がらせ騒音が立てられ続けている。 今朝は、嫌がらせ騒音の音源付近まで歩いて行って、苦情を言った。 行ってみると、そこには、作業員の青年男性2人が居て、作業中だった。 私が、石を切る様な音だ、と思ったものは、ガラスを切る音だった、と分かった。 1人は、人の背よりも少し高い位置に金槌で釘を打ちつけている最中であり、もう一人は、地面にしゃがみ込んでいた。 この2人が私に対する騒音嫌がらせの責めを負うべき人々であるか否か、ハッキリとは分からなかったので、その騒音が明らかに私に対する嫌がらせ目的で立てられている事と、その騒音が私にとって非常に迷惑である事を、知らせるに留めた。 私は、やめろと言えるかどうかはわからない、と述べたが、これは、私が作業を止めさせた場合、それによって生じた損害を、私による加害だ、という風にこじつけられる危険性を考慮しての事だった。 正確には、私には騒音嫌がらせを止めさせる権利がある。 そして、それによって生じた損害を弁償する義務は、嫌がらせの首謀者と嫌がらせに自ら進んで加担した者に、課されるのが正しい。 この認識を苦情に忠実に反映させると、次の様に成る。 あなたが首謀者である場合にはあなたが迷惑音を出すのを止めなさい。 あなたが首謀者ではない場合には、あなたに作業を発注した人に、次の様に伝言して下さい。 あなたが首謀者である場合には、私への発注をキャンセルしてキャンセル料を払え。 あなたが首謀者ではない場合には、あなたに作業を発注した人に、次の様に伝言して下さい。 ・・・ これでも、まだ、元の発注者が誰かに家を壊されて修理の発注が必要に成った場合など、全ての場合に対して妥当するとは言えないが、コンセプトとしては、こういう考え方をするのが正しかろう。 私の苦情を受けて、作業員達は、すみません、と言ったが、私には、責任の無い人に謝罪を要求するつもりは、全く無い。 2人の作業員のうちの1人には悪意があり、もう1人は悪意の存在に気付いていない、という人員配置にしてあった可能性は十分にある。 こうする事によって、まず悪意のある作業員によって嫌がらせ音の嫌がらせ性能を確保し、後で、悪意の存在に気付いていない作業員に、宇田は嫌がらせではない音に対して嫌がらせだと苦情を言って来た、という証言を、正直裡にさせる、という手口の可能性だ。 また、作業員のうちの1人は頭の位置を私よりも高く、もう1人は頭の位置を私よりも低くしていた事も、偶然ではなかったかもしれない。 私は、何となく主に、頭の位置を私よりも高くしている方の作業員と、話したが、そうして良かった。 相手は、私が付け入り易い方の人に付け入る所、を取ろうとしていたかもしれない。 私は、自分がどちらかと言うと大柄である事を笠に着て、それによって生じる威圧感を利用して、小柄な人間に不当な要求を呑ませている、事にされる事の無い様に、前から気を付けている。 私は、空手の練習をして、肉体の威力を高める事をして来たが、これも、他人に物を言わせない様にするためではなく、自分が自由に物を言うためである。 苦情を言った後、同じ位置から出ている音は随分と小さく成った。 という事は、やはり作業上不可避だったわけではない嫌がらせ音だったのだろう。 また、苦情を言う前のガラスを切る音に、自動車のエンジンを吹かす様に脈動させる音が含まれていた。 したがって、現場作業員にも悪意があった可能性は十分にある。 --- 以下に、昨日の記事に対する補足説明を書く。 大家が、自主的に、契約更新をしないつもりだ、と言い出したのではない。 何も言わなければ自動的に更新されるのが慣習である契約更新を、私が殊更に口に出して依頼したのがキッカケだった。 そうではあるけれど、大家が、契約更新しない、と言い出したのは、私に対する優越感を自分が感じ、私に劣等感を感じさせるため、つまり、私を馬鹿にするためだった、という事は、私の目にはハッキリとしていた。 そして、こういう事件が起こる前から、私には、こういう事が起こり得る、という事が、他人に話しても信じてもらえない事項として、ハッキリ分かっていた。 これは、私は、天才で、やって見せるまで信じてもらえない様な事が出来る、という感覚に通じるもので、大変な我慢を強いられる。 その分、実際に起こった、というのは誤認では有り得ない。 実際に起こっても信じてもらえなかった事は、その感覚の正しさを裏付けているが、我慢の限度を超えている。 2009年頃から、入浴後浴槽の水を抜くか否かについて、まず、私は水を抜かないパターンで動いていた。 その後、母から、水を抜け、と言われ、抜くパターンに変えた。 しかし、その後、2011年01月だったと思う、冬季凍結防止を理由に父が、水を抜くな、と言うので、元の形に戻した。 その際に、まず母と父の統一見解を出す事を父に要請し、その後で父の答を聞いた上で、それに従い、夏季冬季ともに水は抜かない、このパターンでもう変えないぞ、と念を押した。 その後、2011年の前半だったと思うが、母が、水を抜かないと浴槽に、ボウフラと言っていたか、何かの虫がわくので、やはり抜け、と言い出した。 これに対して私が、幾ら何でもそれは無いんじゃないか、という怒りを堪えながら、今までの経緯を理由にして、抜かない、と言うと、母は自分のプレハブの屋根の上で「私は大家よ」と叫んだ。 抜くか抜かないか一定できない様にする嫌がらせの動機に、自分が大家である事、が含まれていたようだ。 私の態度は、抜きたいとか抜きたくないという自分の要望は一切述べず、そちらの意向に従うが変えないでくれ、という協調性に溢れた物だったが、それすら気に入らない、というのが父と母の態度だった。 つまり、私が自分の身の周りの問題を良く解決できている状態で存在している、という事に対する破壊目的の介入である。 父と母は、父と母の意見の対立を絡める事によって問題を解決できない様にする、という嫌がらせに打って出ていた。 対象を複数にする事によって問題に正しく対処できない様にする手法は、広い範囲で見られ、赤鬼・青鬼も広い意味ではこれに属するだろう。 私の日程では、入浴後直ぐに浴槽の水を抜かない場合にも、1日の中の他の時間に抜く様に成っていた。 24時間以内に浴槽の水にボウフラはわかないと思うが、そういう点も、母の主張が実利目的ではない事の現れだ。 因みに、この件も母の罠であった、と私は思っている。 屋外で口論を生じさせる事によって、近隣住民にそれを目撃させ、私に不利な証言を得ようとしていた、と考えられる。 |
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