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このページの内容は下書きです。

正直であろうとする努力を妨げる要因は複数あります。
ここでは、その中でも特に自尊心を採り上げたいと思います。
財界においては信用の失墜を防ぐためにウソを吐く場合が多いのに対して、学問においては学者個人が名誉や自尊心を守るために正直の原則を侵してしまうケースが多いと思うからです。
自尊心を保護しつつ正直を貫く方法をここで説明します。
基本は正直であらねば成らぬ事の序列を利用する事です。
優先度の高い事項について正直を貫くために優先度の低い事項について不正直に成れば良いのです。
これでは完全な正直ではありませんが、完全に正直な人間になるまでの過渡的状態として、この様な状態を通るのが良いと思います。
そして優先度の低い事項への不正直の繰り下げを漸次推し進めて、正直さを鍛えて行くのです。
では、具体的な説明に入りたいと思います。
正直であらねばならぬ事の序列は、最優先が事実を偽らない事、次は準事実を偽らない事、最後が価値評価を偽らない事です。
準事実というのは、僕の作った言葉で、優劣や善悪や美醜などについての主張の事であり、価値についての主張は除きます。
一般に、これらは個人の主観に左右されるものだから厳密な意味での事実とは言えない、とされています。
しかし、よくよく考えてみると、その主張そのものは客観的事実とは言えないとしても、自分が何かを優れていると感じたかどうか、悪いと感じたかどうか、美しいと感じたかどうか、これらは客観的事実です。
準事実に正直であるとは、自分がどう感じたかを偽らないという事です。
価値評価については、これは個々人が如何なる価値観を持つかはその人の自由です。
しかし、これもよくよく考えてみると、個々人は自分の自由意志で価値観を決定できるのではなく、個々人は価値の高低を自然に感じてしまうものです。
価値評価を偽らないとは、その自分がどう感じたかを偽らないという事です。
もっと言えば、その正直な価値評価に基づいて行動するという事です。
行動するに当たって何を優先させるかは個々人の意思によって決定できる事であり、違法性が無い限りにおいては、その決定は個々人の自由意志に委ねられています。
具体例を挙げましょう。
自分の知能指数が70だったとします。
誰かに向かって自分の知能指数が150だと言ったり、自分でそう思い込もうとする事は、事実を偽る事であり、厳禁です。
その代わりに、知能指数によって頭脳の優劣が決まるのではない、と思ってなくても他者にそう主張したり自分にそう思い込ませたりし、自分の知能指数が70である事を公言してそれを笑い飛ばす、これで自尊心は保護され、事実を偽る事をも避ける事が出来ます。
もう一つ例を挙げると、学問・身体能力に秀でた人の芸術作品と学問・身体能力の劣った人の芸術作品を比べて、主観的に、学問・身体能力の劣った方の人の芸術作品よりも学問・身体能力に秀でた方の人の芸術作品の方が優れている、と感じたにもかかわらず、学問・身体能力の劣った方の人の芸術作品が学問・身体能力に秀でた方の人の芸術作品より優れていると他人に主張したり自分でそう思い込もうとする事は、準事実を偽る行為であり、戒められるべき事です。
その代わりに、学問・身体能力の劣った方の人の芸術作品よりも学問・身体能力に秀でた方の人の芸術作品の方が優れている、と感じた事を正直に認め、人の価値は学問と芸術と身体能力だけで決まるものではない、と思わないのに他人にそう主張し、自分でもそう思い込もうとすれば、自尊心は保護され、準事実を偽る事を避ける事も出来るわけです。
これが欺瞞の繰り下げによる正直のテクニックです。
今の僕のレベルは、価値観を偽ってるかどうか怪しいなあ、というレベルです。
社会常識から見れば僕は正直過ぎる人です。
それでも行為を決定するレベルでは自分勝手な意思決定を行なってます。