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2024年11月19日(火曜日)
ハラスメント馬鹿に成るな

とりあえずページ設置のみ。

ハラスメントとは、嫌がらせの事である。
「嫌がらせ」と言えば良いのに、どうしてわざわざ英語で「ハラスメント」なんて言うのか、という文句も私には有るが、それよりも、昨日23時30分からのNHK持論公論を視聴して、言葉で不当な要求をする事がハラスメントと呼ばれていたのをおかしいと感じた話を、まずします。

ハラスメントというのは嫌がらせであるから、明示的に言葉で不当な要求をされて、それに従わなかった場合に、実力行使として行なわれる物です、元来は。
嫌がらせというのは、そういうものでしょう。

「従え、さもなければ・・・するぞ」という脅迫の「・・・」に当たる部分、これが嫌がらせですよね。
脅迫する事が嫌がらせじゃないですよね。

「嫌がらせ」という言葉を使わずに「ハラスメント」という言葉を使う理由は、そこにあるんじゃないのか。
つまり、間違った言葉使いを間違っていると知った上で普及させようとしている。

ま、その点にも気を付けてほしいんだけど、近年の風潮は、「○×ハラスメント」という言葉が際限なく増殖していて「何でもハラスメント」の様相を帯びている事の方が本質的には問題です。
「何でもハラスメント」というのは、取締りが過剰であるという意味ではなく、元からある法律の代わりにハラスメント基準で何でも判断する方式に変更するつもりなのか、という意味です。
「人権」という言葉の乱用という形でも、全く同じ傾向が見られます。

強姦をセクシャル・ハラスメントと呼ぶ例は、その象徴です。
強姦は嫌がらせじゃないし、強姦を禁止する法律なら元々あるわけです。
嫌がらせ、ハラスメント、という言葉で注意を換気するのは、既存の法律がガサツなので既存の法律に照らしたのでは違法とまでは言えない嫌がらせ行為を問題にする場合であるはず。
私が言いたい事を面白く言うなら「それじゃあ、殺人は殺ハラスメントなのか?」という事なんですよ。

集団ストーカーの種類の犯罪の言語工作で、従来重い罪だと考えられて来た行為を軽い罪だと感じさせる言葉で表現し直し、それによって、実際に軽い罪だと認識される様に成る様にマインド・コントロールが行なわれている、また、六法全書の代わりに百ハラスメント全書が使われる様に成ったかの様な状況を積極的に作り出そうとする工作が仕掛けられている、という事だと思う。
もっと深読みしようと常に心がけておくべきだ。


物理学正典 > 初等力学正典 > TEC-0-1-54に私が書いた文章の一部分を以下に再掲します。
ハラスメントという言葉の使い方もおかしい。
ハラスメントとは嫌がらせの事だと聞く。
念のために英和辞典で調べると「harassment」は「悩ますこと」だと書いてあった。
和英辞典では「嫌がらせをやる」という意味の英語に「harass」が有ると書いてあった。
2020年までには優越的地位を悪用して男が女に性交を強要する事は全てセクシャルハラスメント(性的嫌がらせ)という言葉で表現される様に成った。
しかし、犯人はそれを嫌がらせでやってるわけではないでしょう。
嫌がらせというのは、被害者が嫌がるという形の損害を被る事を目的とする行為だ。
嫌がらせる事によって犯人が満足するのが目的だという意味では、究極的にはそれも犯人が利益を得るのが目的だとも言えるが、被害者に損害を与えるという目的が中間に存在している。
優越的地位を悪用して性交を強要するという犯罪は、被害者に損害を与える事を目的とする場合も有るだろうけれど、ほとんどの場合は犯人が得をするのが目的だ。
これは嫌がらせではない。
パワハラ(パワーハラスメント)にしてもそうだ。
基本的に嫌がらせという物は弱者が強者にするものである。
強者が弱者にする露骨な力の行使は嫌がらせではない。
強者が弱者に行なう不当な攻撃は「嫌がらせ」ではなく「イジメ」「弱い者イジメ」と呼ばれるのだったはずだがなあ。
弱者が強者に反撃の正当理由を与えない様に行なう攻撃が嫌がらせである。
強者が弱者に露骨な力の行使を行なう為の正当理由を成立させる為に行なう攻撃も嫌がらせだが、弱者が強者に行なう嫌がらせも、強者が弱者に行なう嫌がらせも、何を狙って何をしたという事実を犯人が否定するウソをついて白を切る事とセットに成っており、その為には露骨でない曖昧な言動である必要が有るので、どちらも露骨な力の行使とは違う。
弱者が強者に行なう嫌がらせも、第3者が介入して強者を罰する様に狙って、強者が嫌がらせに反撃する様に狙って行なうのであれば、それは、弱者が強者に対して行なう嫌がらせではなく、弱者を装った強者が強者だと誤認され易い弱者に行なう嫌がらせである。
これを弱者が強者に行なう嫌がらせだと言うのは劣人主主義の屁理屈である。
勝つ様に成ってる方が強者、負ける様に成ってる方が弱者、それが強弱の定義だから、本当の意味で弱者が強者に行なう嫌がらせは、強者が反撃したら弱者は誰にも助けてもらえない、そういう状況下で、強者の反撃のスイッチが入らない程度に恐る恐るするものである。
負け犬の遠吠えは嫌がらせの一例だと考えられるが、負け犬の遠吠えは、強者の反撃のスイッチが入っても逃げ果せるぐらい十分に離れて行なわれる。
また、強度についても、被害者が嫌だと思うに過ぎない程度の攻撃が嫌がらせであって、被害者が痛いとか苦しいと感じる攻撃を嫌がらせとは言わない。
痛がらせでも苦しめでも悲しめでもないから、嫌がらせと言うのだ。
従がって、痛がらせや苦しめや悲しめを嫌がらせと呼ぶ事は犯罪を実際より小さく言って犯人をかばう矮小化です。
モラルハラスメントとかマタニティーハラスメントとまで言うのを聞くに至っては、それじゃあ対人不正は全てハラスメントなのか、と言いたい。
そんな事を言うんだったら、それなら、六法全書は六ハラスメント全書なのか、殺人は殺ハラスメントなのか、法律を最初から全部言い直す気か、って言うんだよ。
こんなひどい言語かく乱に誰も何も言わずに唯々諾々としている。
自浄能力を完全喪失したこの状態は、言論の自由が実質上は危険なまでに抑圧されている証拠のひとつだし、また「~ハラスメント」という形の言葉を発信した他国をリードして来た文化圏の文化が壊れ始めている表れでもある。

元々は「嫌がらせ」という行為には凶悪性は考えられていなかったろう。
デアゴスティーニの「栄光の日本海軍」を読んでいて、その中に「・・・嫌がらせ程度の効果しか無かった」という文が含まれているのを見ました。
弾薬が足りなくて十分な攻撃が出来なかった、といったような意味です。
つまり、嫌がらせというのは、元々は甚大な被害を生じさせない行為だったろう。
これに対して、集団ストーカーが行なう嫌がらせは、甚大な被害を生じさせます。
その事を的確に表現するために、集団ストーカーが行なう嫌がらせを「嫌がらせ犯罪」という言葉で表現する人を見た事が有ります。
多分、テクノロジー犯罪被害者ネットワークの石橋輝勝さんだ。



記入
最終編集2024年11月30日