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2022年09月25日(日曜日) | ||||||||||
政界の統一教会汚染と民主主義 | ||||||||||
政界の統一教会汚染を私は大きな災難だと思う。 この事を、まず、ハッキリ明言しておく。 従がって、以下の私の言説には、以上の事を否定する意味は無い。 さて、世間では、政治家が統一教会や統一教会信者と仲良くしていた事を汚職ぐらい悪い事だ、という論調に成っている。 しかし、民主主義の原則に照らして、果たして本当にそうだろうか。 政治家は、選挙権を持つどんな人にも、親しく話し掛ける事が出来なければいけない。 世間では、政治家は反社会的勢力と関わってはいけないと言われ、政治家もそれに従がいますと言わされているが、それは民主主義とは違うのである。 それを否定する事は、選挙権の否定であり、1票の格差の肯定であるからだ。 自民党の政治家が共産党の支持者に会って、共産主義の欠点を説明したり、共産主義を取り入れるから自分に投票してくれと言っても、その事を公表しさえすれば、それは民主主義への違反ではない。 統一教会に所属する人々は、重い罪を犯したり、やろうとしている事が社会にとって有害であるかもしれない。 しかし、その事によって選挙権を剥奪されてはいないし、手違いでそう成っているわけでもない。 つまり、現行の民主主義の制度では、かなりの程度まで重い罪を犯しても選挙権を剥奪されないのである。 では、そんな制度は民主主義に違反しているのだろうか そんな事は無い、違反してない。 なぜなら、重罪判決を受けた人は選挙権を剥奪される、という事に成っていたら、自分に重罪判決を出した制度に納得できなくても、選挙でそれを改めさせる事が出来ないからだ。 民主主義では、何が正しくて何が間違ってるかを決める基礎は選挙だから、法律も究極的には選挙で決められている事に成る。 選挙に従属する法律が選挙に優越する事は民主主義の原則に反するのである。 したがって、死刑にされて居なく成ったり、自分から国籍を放棄しない限りは、どんな悪い事をしても選挙権を剥奪される事は無い、というので正しいのである、民主主義を真に受ければね。 それじゃあ、世の中が統一教会みたいな人ばかりで、そういう人が多数派なら、多数決で勝負すればそういう人の意見が法律に成ってしまうけど、それでいいのか? いいことはない、いけないけど、それが普通の意味での民主主義です。 (私が考える民主主義は少し違う) いけないけれど、それは「民主主義に反するからいけない」のではなく、民主主義がいけないのです。 では、今回の統一教会騒ぎは、どうでしょうか? いけないことだけど民主主義ではどうしてもそうなってしまう、そういうケースに当たるでしょうか。 そこまで深刻なケースでしょうか。 政治家は誰の票を頼みにしても構わない。 政治家は、出来るだけ多く得票できる様に狙って自分の政策を変えても構わない。 ここまでは、民主主義に忠実です。 したがって、相手がどんなに悪い人達で、どんなに間違った主義を持っていても、そういう人がたくさん居るからという理由で、それらの人に気に入られる選挙公約で政治家が選挙を戦う事は、民主主義としては正々堂々です。 しかし、そんな事をしたら、別種の支持者が離れてしまいます、別種の選挙民から得票できなく成ってしまいます。 いや、出来なくて構わないんだよ、悪い人達が大多数なんだから、悪い人達の投票だけで当選できるから、と言うかもしれません。 確かにその通りです。 しかし、それは、悪い人達が本当に過半数ならの話です。 実際にはどうでしょうか? この部分に政治家や統一教会に後ろめたい所がある、と私は見ます。 おそらく、統一教会の投票数は、それ以外の人から得票できなくなっても構わないから絶対に欲しいと政治家が思うほど多くはない、というのが真相でしょう。 だから、政治家は、選挙で自分の政治姿勢を統一教会以外の人に説明する時に、自分の政治姿勢が統一教会に都合が良い分だけあなたには都合が悪くアレンジされてます、という点を分かりにくくぼかして来ただろう事が疑われます。 民主主義への本当の違反は、この部分です。 その証拠が、統一教会と政治家の交わりが地下工作の様に行なわれて来た事です。 |
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