反抗期、思春期、統合失調症、発達障害、引きこもり、その他、難癖を付ける犯罪の真相を知る為の手掛かりが書かれていたので、以下にメモしておき後日論評します。
困り果てる親たち
原宿カウンセリングセンター所長
信田 さよ子
46年岐阜県生まれ。お茶の水女子大大学院修士課程修了。臨床心理士。公認心理師。日本におけるアダルトチルドレンやDV、母娘問題の第一人者。近著「<性>なる家族」の他、多数の著書がある。
子による暴力から逃げよ
連日の猛暑と次々起こる事件で忘れられがちだが、5月28日に起きた川崎市の凄惨な無差別殺傷事件や、それを引き金として6月1日に起きた東京都練馬区の76歳の元高級官僚による44歳の息子殺害事件は、衝撃的なものだった。
息子の暴力が、親ばかりでなく無関係な他者にまで及ぶかもしれないと思い、殺害したことが報道されている。
1995年に開業心理相談機関を開設して25年目を迎える。
スタッフ10人の弱小な存在だが、一貫して対象としてきたのが家族の暴力であり、それなりにメッセージも発信してきた。
同じ東京に住むこの家族にそれは届かなかったのである。
メディアはこの事件を「中高年引きこもり」問題として括りがちだが、70年代から事件化されるようになった「子から親への暴力」の一環として捉える必要があるのではないか。
90年代半ばまではそれが「唯一」の家族内の暴力だとされていた。
当時も今でいう児童虐待やDV(ドメスティックバイオレンス)は行われていたはずなのに、夫が妻を殴り、親が子どもを血が出るほど叩いても、力の上位者から下位への行為は愛情やしつけとして肯定され、決して暴力と定義されることはなかった。
子が親を殴ることは、下位から上位者への下克上だったからこそ「家庭内暴力」と命名されたのである。
このように、家族の暴力は客観的に存在するのではなく、絶えず力関係とともに判断される。
つまり「誰の立場で」という立場性を専門家に要請するのだ。
そして、これが多くの専門家を家族の暴力に関わることをためらわせる理由となる。
中立で客観的であるだけでは踏み込めないからだ。
父親の学歴と息子の挫折という点で、本事件と類似するのが、96年に起きた52歳の父親が14歳の息子を殺害した東京・湯島の金属バット事件だ。
息子の暴力を受け続けた父は、精神科医や不登校専門の相談機関を訪れており、主治医から暴力に耐えることが「受容」として推奨されていた。
これは事件後大きな批判の的となり、そのため90年代末には、親は子の暴力から逃げることが正解という判断が専門家に共有されたのである。
しかし、約20年後に起きた練馬の事件には専門機関の関与がまったくなかったことをどう考えればいいのだろう。
私の運営する相談機関には子からの暴力に困り果てた親が数多く来談しているが、最初は例外なく子からの暴力を相談できる場所を知らなかったと語るのだ。
そこから浮かび上がるのが制度や専門家側の問題点である。
DVや虐待は、防止法制定によって支援制度が不十分ながら整いつつあるのに、皮肉にも「家庭内暴力」第1号である子から親への暴力は、思春期相談や引きこもり対策の中に分散され、90年代から放置されたままなのだ。
子からの暴力専門の窓口があるわけではない。
さらに、専門家・支援者の側にも変化がある。
近年、対象の細分化と方法論のマニュアル化、そしてエビデンスを重視し、責任を問われないようにする傾向が強まっている。
そんな中で誰が親に対して逃げることを勧めるのだろう。
目の前で困っている親に対して、想像力を働かせて緊急の方針を提示するのは、客観性を踏み越えた行為なのだ。
もっと不幸なことに、子どもは親から安心感をもらえなかったから暴力という手段を取っているのだ、だから「受容」せよという、90年代末に禁忌とされた理論が、亡霊のように復活しつつある。
これを言われれば、親は奴隷化し子は帝王化するだろう。
その先の悲劇は言わずもがなだ。
このような変化は、私たち開業心理相談機関でなければできないことを明らかにしている。
私たちが25年行ってきたことは、困り果てる親を取りあえず全て引き受けるという覚悟を示すことだった。
10人のスタッフを擁することでその勇気は保たれてきた。
暴力から逃げることを指示し、被害のケアと暴力を振るう子どもに接触する戦略を考える。
開業心理相談機関がこのような全体のソーシャルワークと支援プランを作成する機関として機能すること、多くの公的機関、医療機関によって利用されることで、不幸な事件が少しでも防げるのではないかと考える。 |
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