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2019年08月31日(土曜日) | ||||||||||
小林道憲<生命の哲学>コレクション全10巻を購入した | ||||||||||
半年ほど前にダイレクトメールの封書で私に書籍の広告が届いた。 その時には私は朝日新聞社発行の黒澤明映画DVDシリーズを定期購入視聴中だったので、ダイレクトメール広告の書籍は黒澤明シリーズが終わり次第購入を検討しよう、と思った。 その後黒澤明シリーズは2回延長され、私は1回目の延長には従ったが2回目の延長には従がわなかった。 ダイレクトメール広告の書籍を買うなら出来るだけ早く発注しないと間に集団ストーカーが割り込んで来て何をされるか分からないので、黒澤明シリーズの1回目の延長に従がう事は私にとって悩ましかった。 集団ストーカーが割り込む為の時間稼ぎに黒澤明シリーズを延長したのではないかと疑ったほどだ。 購入が遅れたせいで集団ストーカー工作の介入を許してしまったのでなければよいのだが、と気をもんでいる。 ダイレクトメール広告の書籍は小林道憲<生命の哲学>全10巻、消費税を合わせると合計7万2百円だった。 購入したのは数日前。 各巻のタイトルは以下。 第1巻 生きた自然を探求する - 躍動する生命と宇宙 - 第2巻 動く倫理学を展開する - 生成変化の中の実践 - 第3巻 生命パラダイムから歴史と芸術を読む - 行為と表現の世界 - 第4巻 宗教とは何か - 根源的生命への帰一 - 第5巻 複雑系を哲学する - <生成> からとらえた <存在> と <認識> - 第6巻 現代とはどのような時代なのか - 現代文明論の試み - 第7巻 世界史的観点から現代を考察する - 二十一世紀への道 - 第8巻 文明とは何か - 文明の交流と環境 - 第9巻 古代日本人の生き方を探る - 古代日本研究 - 第10巻 ヘーゲル哲学を研究する - 付・断片集、句歌集、評論 - こんなジャンルの本の広告がなんで俺に来るんだ、といった感じだが、それは過去に私が科学哲学会に入っていた時期があるからかもしれない、と思った。 あと学会で、私の理論が生命の問題を解決するのに役立つか、と鈴木貞吉さんから質問された事が脳裏をよぎった。 タイトルに加えて各巻の内容を紹介する短文もダイレクトメール広告には書かれていたが、ほぼタイトルだけを見て私は購入を決定した。 著者の小林道憲も、出版社のミネルヴァ書房も、知名度は高いのかもしれないが、私はダイレクトメール広告を見るまで知らなかったので、それは私としては無名作家の極めて売れそうにない大作を作者の言い値で購入する大胆な行為だった。 これには、著作と出版の在り方に私が消費者として貢献し模範を示す、という意味があった。 つい先日も「えらてんさん」というYouTuberに一説打ったばかりだ。 1999年に リンク集 > 古典物理学 に公開されている書籍の出版を商業出版社(自費出版ではないという意味)に依頼してことごとく断られ腹を立てた(今でも腹を立てている)、という経験が私には有る。 検討したが出版しない事にした、というなら仕方が無い。 検討がどんな物かにもよるが、それなら腹を立てるのは間違っている。 しかし、著者が自分の都合で勝手に書いた物を「良いのが出来たから出版してくれ」といって依頼する、そういう依頼を出版社は一切受け付けません、という事らしいのだ。 有名な出版社からの不採用通知にはそうは書かれていなかったが、出版社に勤務する友人からは口汚くそう言われた。 その時期にはテレビの出演者の発言も、出版社は持ち込みは受け付けない、という事で口裏が合わされていた。 そして何年か経ちホトボリが冷めるとマスコミは、具体的な有名な成功作にメディアの誠意と目利きによる発掘が一役買った、というウソのおとぎ話で視聴者をマインドコントロールする口裏合わせに論調を戻した。 持ち込みは受け付けない、という態度を意訳して私は、出版は出版社が企画し著者に発注するものだ、というクソ生意気な思い上がった考えが出版業界に通用しているらしい、と判断している。 その証拠と成る具体例も有る。 例えば中山祐次郎著「医者の本音」253ページに「編集者の坂口さんからこの本の依頼を頂きました」「しかし、目次案を見て驚いたのです」と書かれています。 目次まで出版社が決めるとは世も末です。 私は、そういう有り難いオファーをされても全て断る事にする。 著作という物は、まず著者が勝手に時間無制限で万全だと自負できる物を書き、出版社はその価値や売れる見込みを査定しリスクを引き受けて出版するのが本来基本であり、出版社が発注するのは傍流です。 出版社はただの輪転機であり、著作内容の一言一句を左右する事も許されない。 出版社は、内容が嫌なら出版しないのは構わないが、内容に注文を付けるなど言語道断僭越至極である。 本の価値はその内容に有るのであり、出版社は媒体に過ぎない。 そして、その内容を作るのは著者であり出版社ではない。 つまり、本は出版される前、原稿が完成した段階で既に完成しているのだ。 カネが仕事に従がうのであって、仕事がカネに従がうのではない。 出版社が締め切りを定めて発注したのでは、ジャーナリズム程度の使い捨て本しか出版できない。 物量が豊富な現代では、それを駄目だ、とは言わないが、元々はどうだったか。 元々は印刷して出版するに値する物だけを厳選して出版していたはずだ。 それは内容の貴重さによって判断され売れる売れないで判断する事でもなかったはずだ。 それはソフトウェアをROM化する事に例えられるだろう。 出版社が発注したのでは、そんな本は書けないんだよ。 本末を保ったまま末も有るのなら良いが、本末が転倒した上、有るのは末ばかりで本が無い、というのではいけないだろうが。 出版社が発注するのだけ、というのは「末だけ」という事なんだよ。 このたび私は小林道憲さんの著書を購入するに当たり、これは内容が必ず素晴らしいはずだ、と確信したわけではない。 出版社発ではなく著者発の著書である事、著者がライフワークとしてジックリ時間をかけてベストを尽くして書いている事、規模が大きい大作である事、これらが購入の決め手に成りました。 読み始めたばかりの今のところは手応えが良いが、もし仮に最初から最後まで読んでみて全体としては駄作だったとしても、それでもよいと私は考えている。 私ひとりでは、こんな大きな買い物を何回も繰り返す事は出来ないので、みんなで手分けして出版社発のでない著者発の著作を査読して欲しい。 名著は、そういう物の中から出て来るはずだからだ。 小林道憲さんは私にとっては無名であっても私が知らないだけで知名度が高いのかもしれないし、少なくとも大学教授です。 だから商業出版社が働いてくれたんだ、という点は私の理念に合致しません。 しかし、大学の先生だといっても東大とかの先生ではない。 だから読んでみようと考えた、という面が有ります。 現在では東大はかなり汚染されている、と私は感じています。 有能な人は東大に集まる、東大の先生の発言は信用される、と成ると東大は陰謀勢力にマークされ管理されます。 結果そこから発信される情報は口裏合わせの一部に成り下がってしまう、と懸念されます。 ノーマークの著者の優良著作を発掘する必要が有るわけです。 物理学や数学では、そんな心配は、あまり必要ありませんが、物理学や数学でも無名の人の方が優秀ならそれを認める必要は有ります。 ひも付きでない独立した著者を優先的に尊重して欲しい。 私の著書「古典物理学」は今後その価値が不動の地位を得るに至っても商業出版社からの出版は一切認めません。 ものすごく怒ってるからな。 まだ定評を得ていない物は出版しない、既に定評を得ている物だけを出版する、というのなら出版社の仕事は何なんだ。 そんなの猿でも出来るじゃないか。 小林道憲さんの本の第9巻の中の「古代日本海文明交流圏」という部分から読み始めました。 いま北朝鮮や日韓関係がもめているので、よし、それなら、最初の最初から調べて誰のせいなのか突き止めてやる、と思ったからだ。 |
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