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2015年01月26日(月曜日)
大人のヒーロー

以下は、昨年12月に私が父にした話を敷延した物です。

子供時代の出発点では私は、人間の活動の中で最も見るべき物は善と悪の攻防だ、と答えた。
一方で、その頃の私は、人間活動の結果の中で最も顕著なのはテクノロジーだ、とも答えている。
これらは矛盾だったかもしれないが、テクノロジーは進歩しないだろうと予想していたためであり矛盾ではなかった、のだった気もする。
善と悪の攻防を答えたのは、創造の方が上だが創造なんて土台無理な話だ、と思ったからである事は、今でも覚えている。

二十歳ぐらいまで生きて見ると、テクノロジーも進歩する事が分かった。
そこで大人時代の出発点では私は、人間の活動の中で最も見るべき物は創造だ、と考える様に成っていた。
そして、映画やテレビ・ドラマのストーリーの主流が善と悪の攻防を中心とする物である事を、創造は想像する事すら困難過ぎるからそうするのだ、と見抜き、増やす事が出来ない者が減らして埋め戻す事によって擬似的に増やす感覚を味わう行為、本物の自動車を買えない子供がプラモデルの自動車で我慢するのに似た態度だ、という意味の皮肉を独り言として言った。

その頃には、創造の本丸だと思う分野も、テクノロジーから学問へと変わっていた。
中学生か高校生の時に阿部節次著「実用電子公式集」啓学出版第4ページで特殊相対性理論の速度と質量の関係を表す式を見た事が、テクノロジーから学問へ関心が移る転機に成った。
また、この本の第1ページでニュートン力学の力と加速度の関係を表す式を見た時に既に、理学的な視点を新鮮だと感じている。
工学を勉強しようと思って理学に目覚めたわけだ。

危機を与えては安堵し、破壊しては復興する、これが‘削って埋め戻す’だ。
ハッピーエンドと言うが、元の状態に戻っただけで何も良く成っちゃあいない。
ヒーローがどんなにスーパーでも、そこ止まりだ。
こうやって現状に飽きている視聴者に現状を素晴らしく感じさせ直す、という意図が感じられる。
これは、広い意味では脅迫であり、素晴らしくない。
そう考える事によって私は、現状を負と認識してスーパーヒーローが神の様に創造し現状よりもずっとマシな新世界が到来する、というハッピーエンドのストーリー展開も有り得る、と気付いた。
サクセス・ストーリーは個人レベルに過ぎないので、それに満たない。
なのに、そういうヒーローは刑事ドラマでは大抵は悪役だ。

私には、大筋においては大好きなテレビ・ドラマを見ていて気に入らないと感じる点が、幾つか有る。
ただし、私の言う通りに直すとロクな物に成らないだろうから私の言う通りにはしない方がよい、とは以前どこかに書いた通りだ。

刑事ドラマでは普通のサラリーマンの身にはまず起こらないであろう様なプラスの出来事の中心人物は大抵は真犯人だ、という傾向も、そういう気に入らない点の一つだ。
そういうストーリー展開は、そうでなくてはいけないと考えられている感じがする所が、成人してからの私は一貫して嫌いだ。
現実社会では、極端に成功した人を嫉んで、転べばよいのにと思い、転ぶのを待っても、いつまで経っても転ばないのが普通だ。
転んで欲しいという歪んだ欲望をドラマを見て慰めてもらう、というのは許される。
しかし、ドラマがプランの提示に成っていて視聴者がそれを承認し現実社会の成功者に適用される、という事があってはいけないのは、もちろんの事だ。
幾ら待っても転ばないからと言って手を出して転ばせたら、どんな些細な事であっても、即反則負けである。
横山やすし、江副浩正、堀江貴文、の件等は怪しい。
これらの人が罠にハメられたなら、有罪にするなとは断言しないが、そこで捜査が終わるのは明らかに間違いだ。
罠にはめられた人を有罪にするしないにかかわらず、罠にはめる犯罪の捜査をする必要がある。
罠にはめられての犯行は従であって、主たる犯罪は罠を掛けた事だ。
だから、単に捜査するのみならず、そちらに重きを置くのが当然だ。

刑事ドラマと現実の事件の一致は偶然ではない、と感じる。
上記の新しいヒーロー像を象徴する様な言葉は、大抵はテロリストが口にして、イメージが悪くされている。

私には、堀江貴文氏とは主義主張の点では賛成出来ない事が、多分非常に多いだろう、と予想する。
しかし、主義主張の対立は主義主張同士を戦わせる事によって決着されるべき事であり、論敵を悪人に仕立て上げて、こういう意見の人は、ほら見ろ、こういう風に犯罪を犯すんだ、分かったか、という風にしてレッテルを貼るのは、それ自体が犯罪であり論駁にも成っていない。
やってる事が正しいか否かと、言ってる事が正しいか否かは、完全には一致しないからだ。
誰にも解けなかった数学の難問を解いた人が後で警察に逮捕されたからと言って、その人の解答が間違っている事には成らない。
堀江氏は、個人の能力よりも人間関係を重んじる人らしく、大学は勉強しに行く所ではなく人脈を築きに行く所だ、と言っているのをテレビで見た事がある。
大学卒業後の経済活動においても、シナジ効果という言葉を盛んに使っていたので、その路線だったのだろう。
それだけなら、その人の自由だ。
しかし、大学は個の能力を高める所であり経済においても個の優秀性の方がシナジ効果よりも有為だ、という意見との優劣は、
宇田経済学的に問題の無い方法で競うべき事であり、自説の方が正しい事を先に仮定してそれを理由に論敵の活動を圧殺するのは循環論法だ。
経済において肝心なのは心理的な要因だ、という堀江氏の主張からは、堀江氏の能力は非常に高そうだ、という印象を受けた。