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2015年01月14日(水曜日)
心理学と精神病

先日テレビを見ていて精神科医のアドヴァイスが占い師のアドヴァイスの様な画面構成で提示されていたので、丁度良い機会だと思って父に、心理学の頼り無さとそれに基づいて行動する事の危険性の話をした。

以下の文章は、その話を敷延した物です。

心理学的知見に基づく診断なんて、ほとんど占いの域を出ない。
物理学や数学に比べて生命科学の分野は不正が多い、という話を、科学ジャーナリズムの本で読んだ事がある。
数学度が低い分だけ他者によるチェックの目が行き届き難いからだろう。
それを言うなら、いわんや心理学をや、である。
そもそも心理学は科学と言えるのか、という問いすら存在する事にも、その事は現れている。

そのような心理学でも、研究するのは自由だし、研究結果を発表するのも自由だ。
精神科医療で参照される心理学の学説よりもっと荒唐無稽な研究でも、デマを目的とした故意の虚言ではなく、やってる本人が本当にそうだと思ってやっているなら、研究して発表するだけなら自由だ。
しかし、研究結果の適用と成ると話は別だ。

だから、心理学的知見に基づいた医療行為が既に実践されている、というのを初めて知った時の私は、驚き、そんなママゴトみたいなサービスが国家資格を必要とする医療行為として実施されている事、を詐欺的だと思った。
そんな事が是認されるならSTAP論文なんてフリーパスだ。
投薬もある、というのを聞いてさらに驚き、強制入院の存在を知るに至っては、明白な犯罪だ、と思った。
そうは言っても、精神病で苦しんでいる人を見て、誰が見ても、このままでは可哀相過ぎるが、身体病院が助けに成るとは思えない、そういう人を放置しろ、とするのは無責任だ。
そこに僅かに精神病院の必要と許容が認められるが、そこまでが限度である。
刑事事件の裁判で、犯行時に精神病の症状で責任能力が無かった、とされる場合ですら、裁判を受けている時にも責任能力の無いその状態が続いているのでなければ、犯人の病気は精神病院への入院が必要な程度には全然達していない。

いくら薬理に対して厳しい実証基準を課しても、処方に対する基準がザルならば、投薬の安全性はトータルでは全く保障されていない事に成る。
処方の基準がザルならば、薬理の基準がザルなのと結果としての安全性は同じである。

治療の必要な精神病なんて、余程の事が無い限り、まず成るわけがない。
正直言って、精神病がある、という認識は、ほとんどUFOや幽霊の存在を主張するのに近い。
また、成った場合に、その余程の事を問題にせずして、病気のみを問題にするのは、悪意以外の何物でもない。

精神病の治療として妥当なのは、言葉や芸術作品による教化や感化であって、薬物治療は暴挙だ、というのが私の見解だ。
(実質上の拷問に成らない保証付きであれば、スポーツも有効だと思う)
これは、弱い治療に留めるべきであり強い治療はやめろ、という意見ではなく、コンピュータのソフトウェア上の不具合を補修するのにハードウェアを温めたり冷やしたりするのは的外れだ、という意見だ。
ソフトウェア上の不具合の補修は、優秀なSEがキーボード入力で行ったり治療ソフトを読み込ませる事によって行なう事であり、これは言葉や芸術作品による教化や感化に相当する。
薬物で脳全体の活動の活発さをコントロールする、といった考え方は、ごく特殊な精神病にしか当てはまらないだろう。
たいていの精神病については、それは、ピンセットで行うべき細かい作業を軍手で行う様な物であり、精密機械の小さなホツレを治す口実でもっと壊そう、という意図が見え見えである。

心理学という分野は、内容の信憑性は低いが、その分だけ取り扱う問題は興味深い。
私も学生時代に、ユング著「心理学と錬金術」という本を読んでみた。
好奇心を惹かれたからだ。
問題のレベルの高さ興味深さと解答の信憑性の高さとは反比例する傾向にある。
心理学の扱う問題はレベルが高く、その分だけ物理学や数学よりも心理学は未発達だと言える。

身体病院はハードウェアを担当し、精神病院はソフトウェアを担当する。
身体病院の頂点は脳外科だが、扱う問題のレベルの高さに関しては、精神病院は、その上に位置すると言えるだろう。
脳外科手術は触れる必要がある部分と触れてはいけない部分が接近密集しているから難度が高い、のだろう。
精神病の治療は、もっと繊細であるから、ハードウェア的アプローチは不可能であり、ソフトウェア的アプローチによるしかない、と見当付ける事は、極めて順当なはずだ。
こう言えば、それが如何に難しい事であるかが分かろう。

心理学というどうにでも成る学問に目を付けてそれを悪用してやろう、という考えは、物理学でトンデモ学説によって正統学説の信用を失墜させようとする動きが有った事と、動機は同じだろうと、非常に感じる。