since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2011年08月 >
< 26日 >
2011年08月26日(金)
つぶやきが目の敵にされた時期もあった
今でこそ、つぶやきもtwitterの出現によって市民権を得た感があるが、これとて、他人に宛てられた文字でのつぶやきについてであって、正真正銘のつぶやき、つまり音声による独り言、についてではない。
つぶやき(音声による独り言)は悪い事だろうか?
元来、つぶやきに悪い意味は無い、と思う。
確かに、周囲の人に聞こえる様につぶやく、というのは、特にそれが、周囲の人に聞かせるために、である場合には、感じの悪い場合がある。
「おい、何ぶつくさ、つぶやいてんだよ」という突っ込みがあるが、これなんかは、その点を咎めるものだろう。
しかし、そういう状況に限定せずに、つぶやくという行為だけを取り出すと、それは、動作に喩えると、あくびをする、とか、くしゃみをする、とか、そういった、善でも悪でもない美でも醜でもない行為だと思う。
貧乏ゆすりをする、とか、鼻くそをほじる、といった、悪癖の類ではないだろう。
テレビ・ドラマ等で、登場人物が良好な関係の内に「何か言った?」「気にしないでくれ、ただの独り言だよ」といった感じの言葉を交わす事があり、この会話からは、独り言は悪い事ではない、という前提の成立が伺える。
それなのに、つぶやきが目の敵にされた時期があった。
私は、これも思い付きの件と同根だ、と睨んでいる。