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2005年8月23日(火)晴れ
ピアノマンの論理
例のピアノマンは狂言だったそうだ。
それと同時に、ピアノの腕前も大した事なかった、と報じられた。
僕は、ピアノの腕前が低い事の判明と記憶喪失が狂言である事の判明が同時である事に、強い不快感を覚える。
ピアノの腕前が当初言われたほどのプロ級の腕前ではなかったなら、その事実はもっと早く判明したはずである。
狂言の発覚と同時というのは都合が良すぎる。
したがって、ここに見えて来るのは、記憶喪失だったらピアノの腕がプロ級、狂言ならピアノの腕は下手、という論理だ。
つまり、記憶喪失なら可哀相だから下手でも上手い、狂言なら詐欺師だから上手くても下手、という歪曲だ。
このように、社会的ないしは政治的都合によって、人の能力の優劣の認定をどうにでも出来る、という考えには僕は強い嫌悪感を覚える。
それが著しく正義に反するからだ。
人の能力の優劣は客観的事実であり、誰であろうと、これを歪める事は微塵も許されない。