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2013年08月04日(日曜日) | ||||||||||
言う事は聞かないのが基本である | ||||||||||
言う事を聞かない、という態度を悪い事の様に言う正義感があるらしい。 もちろん、ここで言う「聞かない」というのは、従わない、という事であり、認識しない、という意味ではない。 しかし、自由を基本とする正義感では、言う事は聞かないのが基本である。 そして、それが正しい事に異論の余地は無かろう。 従って、言う事を聞かない、というのを、良くない事だと言えるのは、そういう基本的な意味以外でだ。 例えば、ルールに従え、と忠告しても従わない、とか、そういう事を、言う事を聞かない、と言ってるんなら、言う事を聞かないのは悪い事だ。 言う事は聞かないのが基本である、とは、従わせるには理由が必要なのであり、特に理由が無ければ従う義務は無い、という事だ。 この道理をしらばくれた物が、昨日の記事の(6)である。 これは、従いたくなければ逸失利益を証明しろ、という主張であり、本当は従わせる理由を自分が提示しなくてはいけないのに、その事をまるで無いかの様にとぼけ、従わない理由の提示を従わない者に求める、汚いやり方だ。 逸失利益の証明の必要性の有無、という問題を伏せた上で、必要である事を前提とした質問「何か自分でしたい事でもあるのか?」を行なう事によって、相手が、逸失利益の証明の必要性の有無、という背景と成る問題の存在に気付き難く成る様にし、また、気付いても、必要ない、とは言い難い雰囲気を作っている。 この点が汚い。 もちろん、逸失利益の存在は、従わない理由に成るが、そんなものは無くたって、従わなくてもよいのだ。 つまり、逸失利益は従わない理由として十分だが必要ではない、という事だ。 |
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